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佐藤俵太郎さんの想い出


昭和初期の日本テニス黄金時代に世界的な活躍をされた佐藤俵太郎さんが4月12日(水)逝去されました。
佐藤さんは明治37年6月1日、三重県桑名市生まれ、関西学院商卒後松岡汽船、朝日新聞、GHQテニスマネージャー、東京クラブマネージャー、青山学院大学コーチ、横浜YCACコーチ、駒沢ローンテニスクラブのコーチなどを歴任されました。日本テニス協会に残る資料を探してみたところ「デ杯選手調査票」が出てきました。「主な球歴」という項目があり、その中で●昭和2年/上海極東オリムピック代表 ●昭和5、6年/デ杯欧州ゾーン参加 ●昭和7年/印度へ派遣する ●昭和10年/マニラ極東オリムピック代表 ●昭和11年/チィルデン傘下のプロとなり米國45州、85都市を巡業、と記されています(表記は原文ママ)。
戦前の日本テニス黄金期、全仏での勝利数/3,ウィンブルドン/1という戦績、デ杯ヨーロッパゾーン準決勝進出など輝かしい戦績を残された「俵さん」。謹んで哀悼の意を表します。


2006-04-19 22:57  nice!(0)  トラックバック(0) 

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